泥質岩が多いが、その中でも周囲より硬い部分が浸食されにくく、このような形に残ったものと思われます。
また、橋の反対側には蹄(ひづめ)の跡(あと)らしいものが残っているのもおもしろい。
駒の膝で観察・体験できること
馬の膝に似た露頭
八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)が馬にムチ打って谷津川沿いの崖を登ろうとしたが、馬は急傾斜に驚き、足をすべらせ岩石にひざまずき、そのまま倒れ死んでしまった。その馬の膝跡が今日まで残っている。
この崖は、多賀層(別に記載あり)からできている。
学習の狙いと内容
- 八幡太郎義家伝説
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市内にあるおおくの八幡太郎義家に係る伝説を調べる。
- 多賀層とその成り立ち
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多賀層がどのようにしてできたかを学ぶ。
同時に学習できる文化財など
鞍掛石、北向き地蔵
鞍掛石
八幡太郎義家が、奥州征伐に行くときに馬を休め、鞍を馬からはずして掛けた石で、この石はのちに鞍の形になったといわれている。
北向き地蔵
ある洪水の時、対岸にあった地蔵尊が流れ着いきました。地蔵尊は、南に向けて安置したはずだったがあくる朝、北を向いていたので、また元どおりに直しました。
しかし、人々が耳を澄ますと地蔵尊の方から、「北が恋しい、北が恋しい」と夜泣き声が聞こえました。
そこで人々はこの地蔵尊を北向きに安置することにしました。それ以来、この地蔵尊の夜泣きはやんだと伝えられています。創立は不詳です。