駒の膝

駒の膝

泥質岩が多いが、その中でも周囲より硬い部分が浸食されにくく、このような形に残ったものと思われます。
また、橋の反対側には蹄(ひづめ)の跡(あと)らしいものが残っているのもおもしろい。

蒼龍寺 アクセス・周辺情報
  • 所在地:那珂市門部の西坪

県道104号線を瓜連に向かっていくと、「鞍掛石」という看板があり、そこを左に降りていくと、小橋(駒の膝橋)がある。橋を渡った直ぐ右手の崖。

鞍掛石の碑

駒の膝で観察・体験できること

馬の膝に似た露頭

八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)が馬にムチ打って谷津川沿いの崖を登ろうとしたが、馬は急傾斜に驚き、足をすべらせ岩石にひざまずき、そのまま倒れ死んでしまった。その馬の膝跡が今日まで残っている。
この崖は、多賀層(別に記載あり)からできている。

学習の狙いと内容

八幡太郎義家伝説

市内にあるおおくの八幡太郎義家に係る伝説を調べる。

多賀層とその成り立ち

多賀層がどのようにしてできたかを学ぶ。

同時に学習できる文化財など

鞍掛石、北向き地蔵

鞍掛石
八幡太郎義家が、奥州征伐に行くときに馬を休め、鞍を馬からはずして掛けた石で、この石はのちに鞍の形になったといわれている。

北向き地蔵
ある洪水の時、対岸にあった地蔵尊が流れ着いきました。地蔵尊は、南に向けて安置したはずだったがあくる朝、北を向いていたので、また元どおりに直しました。
しかし、人々が耳を澄ますと地蔵尊の方から、「北が恋しい、北が恋しい」と夜泣き声が聞こえました。
そこで人々はこの地蔵尊を北向きに安置することにしました。それ以来、この地蔵尊の夜泣きはやんだと伝えられています。創立は不詳です。