戸村城(南城)の創建は古く、1160年戸村能通によって築かれました。
能通は那珂市産代通兼の子で、大井郷戸村に居城を築いて戸村氏を称しました。
1336年戸村氏六代の戸村又五郎は南朝方として、北朝方の佐竹貞義の籠る金砂城を攻めたが敗れ、戸村氏は滅亡しました。
佐竹氏十二代佐竹義人の子義倭は、大掾姓を名乗っていたが佐竹に復し、1460年那珂氏系戸村氏の古城である戸村城(北城)を修復して居城として戸村氏を称しました。
その後城址は、前戸村氏の南城も取り込んで拡張されていったと考えられています。
戸村城は対江戸氏の最前線基地であり、佐竹義宣が戦死したのち跡を継いだ戸村義国の時代、1602年佐竹氏の秋田移封に同行し、城は約450年の歴史を閉じました。
戸村城跡で観察・体験できること
土塁、堀
戸村城は那珂川を南側に望む河岸段丘上に築かれた城郭である。
主郭部は文殊院側であり、その大きさは、外郭を含めると東西最大450m、何北700mという規模を持つ。
外郭部の遺構は宅地化が進みほとんど失われているが、主郭部は南側の小場江用水の建設で破壊されているが、「北城』、「御城」、「南城」と呼ばれる曲輪があり、土塁と空堀が今でも部分的に残っている。
このように、新旧2つの城が接合した特異な構造を持つ。
土塁の脇に案内板がある。(写真)裏側の土塁は削られてしまっている。
この左側の畑になっている部分が「御城」であり、その周囲にはかつて堀が巡らされていたという。
戸村観音文殊院
佐竹氏の祈願寺。一方、城の北側にある龍昌院は佐竹氏の菩提寺であった。1050年頃に創立されたといわれています。代々戸村城主戸村氏の祈願所でした。現在では戸村観音として知られ、安産・子育ての信仰厚く、毎年4月17日の縁日には近隣から多くの人々が参拝する。花の寺としても知られている。境内に若宮八幡宮・大杉大明神の二社があり、昔の神仏混淆の例である。
http://www.hb.pei.jp/shiro/hitachi/tomura-jyo/
http://otakeya.in.coocan.jp/info02/tomurauridura.htmなど