現在の瓜連丘陵はかつて久慈川の河谷があったところです。
河川が埋没(まいぼつ)することにより現在の丘陵になり、東に久慈川、西に那珂川が流れるようになりました。
瓜連丘陵の地下に埋没された旧河谷の流路(引田層)は、久慈川に連続している。この埋没河谷の基底(きてい)れき層から、砂金鉱床(さきんこうしょう)が発見されたことや、阿武隈山地(あぶくまさんち)に起源するれきが含まれていることから、20万年前の那珂川は久慈川の一支流であったと推定されています。
当時の久慈川は水戸方面に流れていて、その後10万年前に河岸段丘の発達により、久慈川と那珂川は二度とつながらず別々の川となりました。
瓜連丘陵で観察・体験できること
瓜連丘陵
瓜連丘陵とは、北西部の静、下江戸、大内、田崎付近にかけて、北北西-南南東方向に存在する小丘陵です。
八溝山系からのびる丘陵地形の末端部にあたります。静付近では標高100m前後で、南南東に向かって緩やかに低くなり丘陵の東側は戸崎付近で那珂台地に接しています。
瓜連丘陵では、塊状泥岩を主とする第三系中新統を基盤として、旧河谷を埋没した引田層が砂れきと泥質層のサイクルを繰り返しています。
第四紀洪積世中期の引田層は、れき層、砂層、シルト層などからなる河成堆積物で、瓜連丘陵にのみ分布が見られます。
瓜連丘陵地全体の最上部は、第四紀後期のローム層が広くおおわれています。
学習の狙いと内容
- 瓜連丘陵の成り立ち
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瓜連丘陵がどのようにしてできたかを学ぶ。
- 那珂川の成り立ち
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現在の那珂川や久慈川がどのようにできていったかを調べる。
- 那珂台地の成り立ち
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わたしたちの住んでいる那珂台地の成り立ちや地質について調べる。